罰と戒め(メッセージ86)

2008年10月4日

 今日はとても基本的な事をお話をさせていただこうかと思っております。

 皆様もどうぞお気軽にお付き合い下さい。

 

 『罰(ばち)が当たる』や『天罰(ばつ)が下る』などの言葉を、皆様の世界では『戒(いまし)め』の意味を込めてよく用いておられますが、実際のところは、別にわざわざ悪を働いたと思われる方のところに神が罰を与えに行くというようなことはございません。

 全てはこの世界を司(つかさど)る法則の下に成り立っているものであり、皆様の行動の結果として色々な現象が起きているのです。

 『霊的真理』を理解する助けとして様々な経験をするのであって、『悪だから罰する』という単純な問題ではありません。

 周囲の方々に不快な思いをさせる事で、自らも不快な思いをする結果となるということを、身をもって学んでいるのであり、それらの経験を重ねる事で徐々に周囲の方々の思いに目を向けられるようになり、慮(おもんばか)る心を育(はぐく)むところまで昇華(しょうか)できた時、初めて『真理』が理解され皆様の中で活きたものとなるのです。

 ですから、『悪事を働いたら罰する』というところで満足し、思考を滞(とどこお)らせてしまうのではなく、それらの行動の裏にある原因や彼らの心理、そしてその先にある学びに是非、目を向けていただきたいと思います。

 

 全ては因果律に基づいた結果であり、この世界の法則として遥か遠い過去から定められているものなのです。

 ですから、もしも皆様の周りで『罰が当たったんだ』と思われるような現象に出会ったとしても、そこで終わってしまうのではなく、その結果に至った原因を探り、解決策を導き出すところまで考えをめぐらせてみていただきたいと思います。

 それが例え『他人事』であれ、原因と結果を見通せるだけの眼を育む事は必ず、皆様ご自身が生活してゆく上で役立つ事でしょう。

 そして是非、それらの経験をご自身の成長に活かせるように頑張ってみてください。

 その先には必ず、今まで気付く事ができなかった『真実』が見えてくることでしょう。

 

 中には『何も悪い事はしていないのに』という風に思われる方もおられますが、それらの現象は全て因果が巡った結果ですので、謙虚(けんきょ)に『今』を受け止める覚悟が必要です。

 それらの経験の中には必ず、今のあなたに足りない何かを学ぶための材料があるはずです。

 その『足りない何か』に気付く事が出来なければ、苦しい『今』から逃れる事は出来ません。

 どのような物事にも必ず『原因』があるのですから。

 その事をよく肝に銘じ、常に思慮(しりょ)深くあるように心掛けましょう。

 その努力は必ず実を結び、いつの間にか苦しみが消え去り、幸せを噛(か)み締めながら暮らしてゆく事ができるようになるのです。

 これが霊的成長であり、全ての方が通る道なのです。

 是非これらの事柄について思いをめぐらせ、ご自身なりの答えを導き出し、『真理』を確信へと昇華していただきたいと思います。

 『善と悪』や『罪と罰』をテーマとしたメッセージは、これまでにも繰り返し降ろされておりますが、霊的知識の基本であり根幹(こんかん)であると申し上げても差し支えない『因果律』の働きに対する理解を深める上で、非常に有用な材料となります。

 同様のテーマが霊界通信として何度も繰り返しもたらされるのは、霊界でも『因果律』に対する理解を深めるのは重要だと考えており、なおかつ地上界を生きる私たちの『因果律』に対する理解不足、あるいは理解の仕方を誤(あやま)っていると感じているのかもしれません。

 ですから、これまでにもたらされた同様のテーマのメッセージを、今回のメッセージと併せてよく読み込んで頂き、なおかつご自身のこれまでの記憶や経験を思い返しながら、もしくはこれからの日常生活で『物事の原因と結果の関わり』に注目しながら日々を過ごされる中で、『因果律』の仕組みを理解するきっかけを見つけることができるでしょう。

 日常生活における観察力さえ研(と)ぎ澄(す)ませていれば、霊的知識の理解を深める為の材料は、この地上界にも無数に散りばめられていることに気がつかれるでしょうから。

関連するメッセージ

【因果について】

(霊的知識の基本であり、最重要のテーマである『因果律』の理解を深めることは、ご自身の霊的成長を促すばかりでなく、より心地よい人生を送る為にも役立つことでしょう)

【善悪の意味】

(社会の秩序を維持する為の倫理的規範や、宗教思想との関連で善悪の概念を取り上げる機会が多いと思いますが、善と悪を分ける基準は『自身にとって心地よいか、否か』です)