少年犯罪への対処法(メッセージ81)
2008年5月29日
今日は少年犯罪に対する対処法について考えてみたいと思います。
皆様は、日本における少年犯罪の対応についてどのような考えをお持ちですか?
現状のままでも充分に機能し、治安を維持する事が出来ていると思いますか?
それとも、改善する必要があるとお思いですか?
少年犯罪——この問題に関しては賛否両論あることと思います。
犯罪数が昔からみると減ってきているのも事実ですし、『そんなに神経質になって罪を重くして、若者の将来を潰(つぶ)す事はない!』と思う方もおられるでしょうし、逆に『未熟だからこそ、きちんと己(おのれ)の犯した過(あやま)ちを認識できるようにするべきではないのか?』と思っている方もおられるでしょう。
ここで私どもの意見を述べさせていただきますと、後者の意見に近いと思われます。
この世界の法則を基に考えてみれば、未熟だからこそ避けては通れない経験であると分かりますし、一度で学びきれなければ何度も繰り返す事になるのですから、早いうちに学べるのであれば、そちらの方が皆様の霊的成長にとっても好都合なのではないのでしょうか?
地上界で暮らしておりますと、どうしても視点が物質のみになってしまいますので、情をかけたくなってしまう気持ちも分からないわけではないのですが、霊的な視点から見れば、結果的に苦しい経験を繰り返してしまう事になりますので、下手に情をかけてしまうことが、加害少年(少女)にとっては苦しみを長引かせる事にしかならないのです。
ですから、これらの問題に対しては、常に思慮(しりょ)深く対応する必要があるのです。
加害少年にとって今一番必要な事を冷静に考え、彼らが同じ事を繰り返さないためにはどのような対応が適切であるのかを常に念頭においていなければ、結局苦しむのは加害少年本人である事を忘れてはなりません。
決して、『非情になれ』と言っているわけではないのです。
加害少年の精神的成長を促(うなが)し、権利と義務の関係性をきちんと把握できるように教育し、自立してゆけるように対応を考える必要があると言っているのです。
彼らに必要なのは『無責任な甘やかし』ではなく、『心からの愛情』なのですから、そこのところをよく考えてみる必要があるでしょう。
『愛』は深く大きいものであり、優しさの中にも厳しさを持ち合わせているものなのです。
ですから、ただ表面的なことだけを考えて罪を軽くしてしまうのではなくて、彼らの将来を考えるからこその厳しい対応というものも必要なのです。
それこそが『真の愛』と呼べる唯一のものなのではないのでしょうか?
これらの知識を参考にしてよく考え、ご自身なりの答えを導(みちび)き出してみてください。
その先にはきっと、今まで見えなかった真実が隠されている事でしょう。
これらの知識が皆様の成長の糧(かて)となる事ができましたなら幸いでございます。
私どもはいつも皆様を見守り続けておりますので、どのような苦難に遭遇したとしても挫(くじ)けずに邁進(まいしん)していってください。
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少年犯罪に対する今日(こんにち)的な世間の反応としては、どちらかと言うと厳罰(げんばつ)化の方向にあると思います。
しかし、ただ単に厳しいペナルティを科すことによって犯罪の意図を潰(つい)えさせてしまおうというのではなく、犯罪等によって秩序を乱しても結果的に自分の利益にはならない——つまり因果律の存在に対する正しい理解を促すことによってこそ、犯罪に手を染める無意味さ、愚(おろ)かさを実感していただけるのではないかと思います。
一方、現実としては犯罪に手を染める少年少女を問題視し、彼らに対する厳罰化を叫ぶ大人の側にも、少年犯罪を助長する芽があるのではないかと思います。
少年犯罪を問題視する以前に、果たして大人の側が少年たちの手本となり得ていたのか、改めて振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。
ただ口先で犯罪を犯してしまった少年の非を責めるのは簡単ですが、大人は日頃から少年少女に対しての『よい手本』を行動で示せていたでしょうか。
親のいう事を聞かない子供を観察していたら、実は親の普段の行動を真似ていたという笑えない話も珍(めずら)しくはありません。
私たちは、他人の行動に注文をつける前に、まず自分自身の行動が周囲の人にとっての『悪い手本』になっていないかについて、もう少し注意を払う必要があるように思いますが、皆さまはどの様に思われるでしょうか。
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(命を尊重する意味を学ぶには、場合によっては自身の命が傷つけられる経験を必要とする場合もあり得る点について)


