自由であるということ(メッセージ77)

2008年4月13日

 『自由』であるということは、実際は何を意味しているのでしょうか?

 『自由』である事を求める方は大勢おられますが、本当の意味を理解して求めておられる方は少ないと思われます。

 『自由』になると言う事は、自らの意思で物事を決定し、実践出来る幅が広がるのですから、当然その行動に伴(ともな)う責任が生じる事を忘れてはいけません。

 自らの責任で全ての事柄を成すからこそ束縛(そくばく)から解放されるのです。

 ですが、一人の力だけで生きてゆける人などこの世界には存在しておらず、皆、誰かしらのお世話になっているものなのです。

 その為に完全に束縛から解放されることなどこの世界ではありえないことなのです。

 この束縛とは、世界の秩序を保つためのルールを指します。

 この枠から逃れて暮らす事は誰一人出来ません。

 皆、見知らぬ誰かの労働の恩恵に与(あずか)っているものなのです。

 その事をよく考えもせずに、『自由』になりたいなどと甘い事を口にする方がよくおられますが、この世界を放り出されたなら、たちまち飢(う)えて命を落としてしまう事でしょう。

 これは地上界だけの話ではありません。

 霊界全体が一つの秩序の下に成り立っている事を考えれば、皆ある程度の束縛を受けているのです。

 ですが、その束縛は皆様を守るための鎧(よろい)であり盾(たて)であるのです。

 皆様が生きてゆく上で必要不可欠なものなのです。

 その事をきちんと理解した上で、『自由』になると言う事はどういうことなのかを考えましょう。

 そして、この世界の『自由』とは、創造主に守られた一定の枠組みの範囲内だけでの『自由』であり、そこから外れる事は出来ない事をよく覚えておきましょう。

 皆様の言う『自由』などは、所詮(しょせん)は守られた世界での戯言(たわごと)に過ぎないのです。

 全ての責任など負えないのですから。

 その事をよく覚えておくことです。

 『自由』とは決して、好き勝手に自堕落(じだらく)な生活をする事ではないのです。

 ご自身の選択肢が広がると言う事は、負う責任も選択肢の広がりに比例して大きくなると言う事をよく覚えておきましょう。

 守られていながら、その事に気付かずに『束縛されるのは不満だ!』と、自らの力量も省(かえり)みずに怒りを露(あらわ)にされる方が大勢おられますが、そのような方々には是非ご自身を省みる事をお勧めいたします。

 どれだけ、多くの恩恵に浴していたのかを知るよい機会となる事でしょう。

 それらの恩恵の源(みなもと)は皆、他の誰かが汗して作り上げてきたものである事を知るでしょう。

 その事に気付いた時に初めて、皆様は『自由』への第一歩を踏み出す事になるのです。

 それまでは、ただの我侭(わがまま)な子供の戯言に過ぎず、駄々(だだ)を捏(こ)ねて甘えている状態なのです。

 その事をよく覚えておきましょう。

 

 これらの知識が皆様の成長の糧(かて)となり、心に平穏が訪れる助けとなりますように。

 これからも、どうぞ霊的成長のために邁進(まいしん)していってください。

 今回のテーマについて一言で表せば、『自由とは成長の証(あかし)である』と言えるのではないでしょうか。

 つまり、未熟であればあるほど、外部からの強制力に拠らなければ秩序を維持できないので、自由裁量の範囲が必然的に限られており、そこから少しずつ成長するにつれて秩序を守ることの意義を学び、自ら率先して秩序の維持に努めるようになるのです。

 メッセージの中では「『自由』になると言う事は、自らの意思で物事を決定し、実践出来る幅が広がるのですから、当然その行動に伴(ともな)う責任が生じる事を忘れてはいけません」と述べておりますが、むしろ新たな知識を得ることによって責任範囲を認識できるように成るので、その時点で理解している責任範囲の枠内で自由に振る舞える ——ということであって、理解している責任範囲を増やすことが成長であり、結果として自由が増すということなのでしょう。

 一見自由に似ていても適切な責任範囲を認識していない状態は単なる我が侭であって、自由に比べれば大きな制約があるにもかかわらず、それが見えていないだけなのです。

 自由と我が侭の違いは天と地ほどもあるのですが、一見勘違いされやすい面がありますので、本当の自由について考えを深めて見てはいかがでしょうか。

 そして、我が侭ではなくて本当の自由を手に入れるために、日々の生活を通して実践を積み重ねて行きましょう。

関連するメッセージ

【法律を守る意義】

(自由とは「自ら率先して秩序を守る行動」を差し、自主的に秩序を守れない成長段階では、法律などの行動規範を定めて秩序を維持する必要があります)