霊的知識を本当に理解し確信すること(メッセージ63)

2008年2月26日

 霊的知識を本当に理解し、確信するに到るということについてお話したいと思います。

 

 この世界に存在するあらゆる現象や状況、皆様の置かれる立場などは全て必要だからこそ経験するものであり、それらの苦難や危機的状況などを体験し、乗り越えた時、始めて霊的真理に対して心から確信出来るようになるのです。

 伝え聞いている、あるいは本で読んだなどという単なる記憶の中の知識というだけではなくて、ご自身の経験を通して霊的知識を再確認し、ご自身の考えとして確信するようになるのです。

 (まさ)に霊的知識が皆様の中で胎動(たいどう)を始め、単なる知識ではなくあなた方ご自身の考えや経験に基づいた、あなた方ご自身と融合(ゆうごう)した知識としてその内に存在するようになるのです。

 それはもう単なる知識ではなく、あなた方の内に活(い)きた知識としてあり続けるのです。

 この域に達することができれば、周りの干渉(かんしょう)や状況の変化に振り回される事なく、冷静にその時々に応じた対処が出来るようになるのです。

 色々な経験を積む事で多くの知識を得、ご自身のものとして確信出来るようになると、物事を観察する際の視野が広がり、結果として今まで見えてこなかった事柄も観察できるようになるために、選択肢が増え、今まで不可能と思われていたことが可能になるのです。

 霊的に成熟するとは、より多くの経験を積み、それらの実体験を通して、霊的知識を単なる知識ではなく、心から確信しご自身の考えとして認識出来るようになるまで昇華(しょうか)する事なのです。

 ですから、心から望むところを行う事こそ、霊的真理を確信するための鍵(かぎ)とだと言えるのです。

 それが例え皆様にとって不愉快で残酷(ざんこく)な事柄であったとしても、それらの経験を通してでなければ学び取れない、確信するまでには到れない霊的真理というものもあるのです。

 この地上界を含めました霊界全体を取り巻く法則は、決して皆様にとっての愉快(ゆかい)な好ましい事柄だけの存在を許し、守り続けているわけではなく、不快で嫌な事柄も同じ様に存在する事を許し、守り続けているのです。

 この二つの事柄は一つの物事の裏と表、光と影を表しており、どちらか一方でも欠けてしまえば直ちにバランスを失い、存在する事が出来なくなってしまうのです。

 どのような物事にも多様な側面があり、立場の違いや観察する場所によって、受ける印象が変わることをよく覚えておきましょう。

 善悪や優劣なども同じことで、皆様がある一側面やある一時の状況だけを見てそのように判断しているだけの事であり、それらの状況が永遠に続くわけでもなければ、全ての人にとって同じ様に認識されるようなものでもない、とても曖昧(あいまい)であやふやな幻影のようなものなのです。

 これらの事柄に対して確信を得るためには、やはり、目の前にある課題を一つ一つ解決し、多くの実体験を通して視野を広げるしかないのです。

 とても地道で、時には退屈に思える作業ですが、皆様にとって生活に必要な事を成すのが大変重要であり、霊的知識を確信するために大切であるということを忘れないで下さい。

 『急がば回れ』というでしょう?

 早く確信したければ、遥か遠くにあるゴールを見ながら、『まだ辿(たど)り着けない』とぼやくよりは、ご自身の足元にある問題をかたずけるのが一番の近道なのです。

 ご自身の足元のにある問題とは、今、一番気に掛かる事柄に対応してゆくということです。

 霊的真理を理解するという事は、決して、記憶の中にある知識を確信も無いままに実行する事ではありません。

 確信していない事柄に関しては、どんなに打ち消そうとしたところで恐れが付き纏(まと)います。

 恐れを抱くということは知らないということであり、今成そうとしている事柄は『あなたにはまだ早いですよ』というサインなのです。

 恐れを抱くのは、もう少し他の経験を積む必要があるのに無理をしている証拠なのです。

 知らないことは決して恥(はじ)でも罪でもありません。

 皆、最初は知らないのです。

 多くの経験を積み、確信することが増える度に、恐れは消えてゆくものなのです。

 むしろ、ご自身の力量も考えずに無謀(むぼう)な行動を取られる方が、余程、周りの方に迷惑をかける結果となり、そのような行動こそ慎(つつし)む必要があると言えるでしょうね。

 少しの努力で出来る事というものは、もう確信するまで後一歩といったところで、恐れよりも興味の方が先にたつものなのです。

 ですから、努力をするのはよいことですし、成長のためには欠かせないのですが、恐れを抱いて立ち竦(すく)んでしまいそうな事をするというのは無謀であり、ご自身を欺(あざむ)いている証拠なのです。

 そこまでして何かを成そうとしても、成就(じょうじゅ)する事はまず無いでしょう。

 確かに、そのようなショック療法的なことをして、知り得る事や克服できる事もあるのですが、それが成功するためには本人の強い意志と強力なバックアップが必要であり、多くの人たちの尽力あってこその賜物(たまもの)と言えるのです。

 基本的には、努力と無理を取り違えないように程々に、ご自身の精神状態がバランスを欠くなどという事がない程度の挑戦に止(とど)めた方がよいでしょうね。

 無理は必ず皆様ご自身の身体や精神を蝕(むしば)み、本来の目的を見失う結果となりかねず、霊的成長を遅らせ、同じことを繰り返してしまうでしょう。

 遠回りをするだけの事なのですが、出来れば同じ苦難はあまり経験したいとは思わないでしょう?

 何事もバランスが大切なのだということを忘れないようにしましょう。

 

 霊的真理をご自身の確信へと導くのは、伝え聞いたり本で読んだ記憶や知識ではなく、実体験に基づいた知識や記憶である事を覚えておきましょう。

 このメッセージは、霊的知識を理解するとはどの様なことなのかについての解説となります。

 とはいえ、取り立てて特別のことを言っているのではなく、既に十分理解を深めておられる方にとっては当たり前の認識なのですが、その当たり前の事実になかなか気づけない方が少なからずおられるのが現状です。

 説明は既にメッセージの中で尽くされておりますので繰り返しませんが、ぜひ、『知っている』と『確信している』の意味合いの違いについて、この機会に考えていただければと思います。

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